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鯨にぶつかる話

 昨日・一昨日の調子で書いていると流石に身が持たないので本日は時事的な話題に関連して簡単に。

 種子島~鹿児島の高速船が鯨にぶつかったらしい事故を起こし、百名以上の負傷者が出た由です。死者が出なかっただけ不幸中の幸いという感ですが、高速船だけに衝突時の衝撃は相当なものであったようです。
 小生も数年前に同じ航路の高速船に乗りました。桜島の前を航行していたとき、雨上がりで島に虹がかかっていたのを覚えています。結構早かったけど揺れたなあ。あと運賃が飛行機より高かったのには驚いた(もっともその飛行機代は、早朝の便だったので半額割引というやつだったけど)。

 実は、高速船が鯨とぶつかる事故というのは結構起きているそうです。といって対策もなかなか難しいようで、鯨よけの音波を出して航行しているそうですが、効果の程は不明とか。
 で、この事故の話を聞いて思い出したのが、毎度おなじみ山田貴敏『アクシデンツ』の3巻に収められている「クジラと鯨」というお話。まんま、高速船と鯨の話です。
 もっともこれは単純に鯨とぶつかるのではなくて、「鯨との遭遇率90%」を誇るホエールウォッチング兼連絡船が何かにぶつかり、それが鯨なのか流木なのかで大激論、というお話なんですけど・・・それにしても、いろいろ先駆的で優れた漫画だったんだなあ。やっぱアニメ化しかない。実写化もよし・・・でも制作費はかかりそうですな。

by bokukoui | 2006-04-10 22:52 | 時事漫言 | Comments(4)

「ネギま」の謎

 開業百日記念で新カテゴリを作ってみました。その字の如く食べ物関連の話題を扱います。小生は別に(全く)美食家ではないですが、そっち方面の話題は好きなので。

 さて、昨日『魔法先生ネギま!』にちょっと触れたので、そこで思い出した話題を一つ。
 「ネギま」といえば、今では葱と鶏肉(場合によっては豚肉)を交互に挟んだ焼き鳥(「葱間」)を指すのが普通ですが、確か筆者がリアル工房だった頃かと思いますが、谷崎潤一郎の随筆集(岩波文庫版)を読んでいたところ、そこに「幼少時代の食べ物の思い出」という、1959年に書かれた一編があり、「ねぎま」という食べ物が登場しているのです。字は「葱鮪(鮪=まぐろ)」。以下にその部分を引用。
 ○葱鮪――関東だきの身に「葱鮪」というものがある。鮪の身と東京葱を一本おきに二本串に刺したものであるが、昔東京で葱鮪といえば吸い物椀にきまっていて、これは鮪のとろと葱を汁にしたものである。関西ではすき焼鍋に葱と鮪と豆腐を入れてグツグツ煮て食べるのを「葱鮪」といっているらしく、大阪人の家庭でそういう鍋を御馳走になった覚えがある。
 というものだそうです。
 読んだ時ふと思ったことは、鮪といえば江戸の食べ物、大阪人は鯛や鱧を好むというイメージがあったので、大阪の方に東京日本橋(魚河岸があった)出身の谷崎も知らない鮪料理があるとは面白いなあ、ということでした。

 それから数年後、古本で買ってきた中公文庫の北大路魯山人『魯山人味道』を読んでいたところ、この「葱鮪」に再会しました。ところが、どうも話が谷崎と違っているのです。1938年に執筆されたという「鮪を食う話」より該当部分を引用。
魚河岸における一日約一千尾の大まぐろは、大部分は焼き魚、煮魚として夏場のそうざいとなるのである。もっとも冬場でも、まぐろの腹部の肉、俗に砂摺りというところが脂身であるゆえに、木目のような皮の部分が噛み切れない筋となるから、この部分は細切りして、「ねぎま」というなべものにして、寒い時分、東京人のよろこぶものである。すなわち、ねぎとまぐろの脂肪とをいっしょにして、すき焼きのように煮て食うのである。年寄りは、くどい料理としてよろこばぬが、血気壮んな者には美味いものである。
 聞くところによると、いわゆる朝帰りに、昔なら土堤八丁とか、浅草田圃などというところで朝餉に熱燗でねぎまとくると、その美味さ加減は言い知れぬものがあって、一時に元気回復の栄養効果をあげるそうである。
 と、書いてあります。
 あれれ? 谷崎が関西で初めて知ったと思しきすき焼き風「葱鮪」鍋が、魯山人によると東京の地元料理のように書かれています。話がややこしいのが、東京出身の谷崎が関西のものだといい、京都人の魯山人が東京のものだと言っているところですが、実態はどうだったんでしょう。
 話としては魯山人の方が詳しいし、状況説明もついてもっともらしいし、なにより食の大家ですから(谷崎もその道に疎い人では全くないわけですけど)、そちらの方が信用したくなってしまいます。そして今、「ねぎま」でネット検索をかけると、赤松健作品関連のページの山の中から、「ねぎま鍋」の情報を幾つか拾い出すことができます。それによると、やはり皆江戸の庶民料理という感じで紹介しているので、魯山人説が益々有力なように思われてきました。

 ところで、その「ねぎま鍋」の映像を見ると、どうも土鍋で調理しているところが多いようです。こちらのサイトに浅草の店のレシピがありますが、銅鍋推奨でなければ土鍋、だそうです。鉄鍋ではないみたいですね。すき焼鍋といえば普通鉄鍋のような気がしますが。土鍋の料理だと「葱鮪といえば吸い物椀にきまっていて、これは鮪のとろと葱を汁にしたもの」という、谷崎の言う「本来の」葱鮪鍋の雰囲気もちょっと混じっているのかもしれませんね。
 すき焼が出てきたついでに言えば、実は谷崎は「葱鮪」の次の項目で「牛なべ」と題し、次のように書いています。
 ○牛なべ――すき焼きという言葉が東京に輸入されたのはいつ頃からであったろうか。とにかく明治時代にはすき焼などという名称はなかった。皆「牛なべ」といい、「すき焼を食う」といわないで「牛を食う」といった。(以下略)
 というわけで、鍋文化についてはすき焼(この言葉は関西発祥の由)に関東が乗っ取られてしまったらしく(ふぐ鍋の普及・おでんの変化などについても同様の傾向を谷崎は指摘しています)、「ねぎま」においても同様の現象があったのかもしれませんな。つまり、

・谷崎の幼時は、「ねぎま」は鍋というより吸い物に近く、その後おでんの具という形で鍋に進出した。
・それと関連したのかどうなのか、関西にはすき焼き風の「ねぎま」が存在した。
・やがてすき焼やふぐのように関西料理が関東を席巻、その際関西風の鍋としての「ねぎま」が関東にも定着した。
・その頃には谷崎は関西に引っ越していたので、そんなことはよく知らなかった。

 こうすると両者を矛盾なく解釈できる・・・まあそこまで義理立てすることもないけど(笑)
 関東と関西が融合して現在の「ねぎま鍋」になったのだ、とすると話としては綺麗なのですが、果たしてどうでしょう。どなたか情報をお持ちでしたらご教示ください。

 ところで、「ネギま」という表題にだまくらかされてここまで読んでしまわれた赤松先生の読者の方々にはお詫びの仕様もないのですが、もし無理にねぎま鍋と『魔法先生ネギま!』を結びつけるとしたならば、魯山人いわく「いわゆる朝帰りに、昔なら土堤八丁とか、浅草田圃などというところで朝餉に熱燗でねぎま」というくらいで、要するにこれって吉原で一晩中アレして朝帰りに食うということですよね。吉原といえば遊女が並ぶ張見世が名物、片や『ネギま!』といえば初回で31人の女子キャラ全員を出席簿の顔写真という設定で顔見世させたわけで、まさに二次元の張見世、萌えの吉原状態(意味不明)。うんうん、似てるんだよそこがきっと。

 ・・・牽強付会もここまでやると電波ですな。
 この「食物」カテゴリ、次回の予定は未定です。なくなるかもしれません。

by bokukoui | 2006-04-09 23:52 | 食物 | Comments(0)

煉瓦の積み方

 創業百日記念企画、というほど大した話ではありません。

 今から一年以上前の2005年1月と記憶しておりますが、テレビ東京の「アド街っく天国」で本郷界隈が特集されたことがありました。その時ゲストによばれていたのが江川達也センセイで、『東京大学物語』作者だから、という縁だったようですが、なぜ『ラブひな』作者・赤松健氏を呼ばなかったんでしょうか。その頃『魔法先生ネギま!』のアニメがテレ東で放送中だったと思うのですが。『東京大学物語』のドラマ放送したのはテレビ朝日ですな。
 で、その江川センセイ、少しは気の利いたことでも言うのかと思ったら「東大構内には明治の雰囲気があって」云々などとのたまいます。東大は関東大震災で全焼しその後復興された建物は鉄筋コンクリートにスクラッチタイルという、大正末~昭和初期のスタイル(その後増築された建物もこの様式に倣ったものが多い)ということを無視しておられました。自著『日露戦争物語』の宣伝に強引に結び付けたかったのでしょうか。

 とはいえ、そんな東大にも、震災以前の建物がないわけではありません。あの赤門はそもそも江戸時代のものですし、その両脇に煉瓦造りの建物が現存しています。赤門向かって右手の建物は、昔史料編纂所が使っていた建物だそうですが、現在は使われていません。
煉瓦の積み方_f0030574_23555967.jpg
 煉瓦の建築物は近代の遺産としてもともと人気のあるもののように思われます。鉄筋コンクリートの建物でも、表面にタイルを張って煉瓦風に仕上げるということは非常に良くあることですし、その雰囲気が好まれているのでしょうね。
 しかしもちろん、煉瓦とタイルの仕上がりは一見似ているようでも違うところがあるわけで、それを良くあらわすのが赤門向かって左手の建物、今は改装されてコミュニティーセンターとやら(要するに土産物屋)になっています。その建物の側面を撮影したのがこれ。
煉瓦の積み方_f0030574_343598.jpg
 この画像はクリックすると多少拡大します。
 壁の真ん中にひびが入り、その左右で煉瓦の色が違うことがお分かりいただけるかと思います。そして、模様のパターンも違っていますね。これは左手が本来の煉瓦積みなのに対し、右手が(コミュニティーセンターにするため改造した際のことでしょうが)タイル張りに改装されているのだろうと思われます。
 で、模様のパターンの違いなのですが、これが煉瓦積みとタイル張りのもっとも大きな目立つ相違点ではないかと思います。立体的に積み上げる煉瓦と、平面的に敷き詰めるタイルの違いですね。

 煉瓦の積み方のパターンについて、こちらの全愛知赤煉瓦工業協同組合のサイトに分かりやすい説明が載っています。
 これを見ていただければお分かりの通り、東大に残っている煉瓦の建物の積み方はイギリス積みです。日本の煉瓦造りの建物の多くはイギリス積みのようで、特に鉄道関連ですと英国からの影響が大きいためか大部分はイギリス積みのようです(例外:東京駅はドイツ積みらしい。あの駅はいろいろドイツ人の影響が濃いという話も。この本とか参照)。フランス積み(フランドル積み)は見た目が最も美しいとされますが、採用例は昔の要塞(陸軍は当初フランス系だったので)などに限られるといいます。アメリカ積みは・・・開拓の影響か北海道に残存するとも聞きますが、詳細は知りませんし、実見したこともありません。全く関係ない殺人事件ものサイトを見ていたら、アメリカの事件の現場写真でアメリカ積みの壁が写っていておお、と思ったくらいですね(こちらのサイトの上から三枚目の写真。上から二枚目の写真は思いっきりグロ写真なので注意)。
 このコミュニティーセンターの壁もイギリス積みで、やはり日本で一番多いのはイギリス積みのようです。強度が大きいといわれているそうです(実はあまり変らないとも)。タイル張りに似ている長手積み・小口積みは、東京駅のような例外もありますが、敷地の塀などあまり大きくない建築物に使われることが多かったようですね。

 さて、イギリス積みは端部の処理に幾つかのバリエーションがあり、さらに違いが大きいとオランダ積みという違う種類になります(横浜の赤レンガ倉庫はオランダ積みだとか)。そのような端部処理の実例を複数同時に見ることのできる貴重な実例が、先ほど挙げた赤門向かって右手の建物なのです。
煉瓦の積み方_f0030574_3265892.jpg
 一見同じような積み方ですが、よく見ると端部の処理が異なっていることが分かります。
 下が半分に割った「ようかん」煉瓦を使っているのに対し、上は1/4を切り落とした「七五」煉瓦を使っています。理由は分かりません。東大キャンパスの建物の来歴を説明した本(なかなか面白いです。特に解剖台の話は感動ものです)を立ち読みしましたが、このことの理由は書いていません。筆者が勝手に推測するには、上の段の煉瓦色の煉瓦は需要が多いので、あらかじめ「七五」サイズの端部処理用煉瓦が販売されていたのに対し、下の段の焦茶色煉瓦は生産数が少ないので(あまり見たことがない)そのような特別版がなかった、そこで現場で割って作っていたが、その場合「ようかん」にすれば真っ二つに割ればいいから端数が出ないで済む(「七五」を現場で作ったら、長さ1/4のきれっぱしが大量にできてしまう)という経済的理由ではないかと思います。まあ、どこかで昔の煉瓦会社のカタログを発見できれば、理由はかなり明らかにできるのではないかと思います。どなたかご存じないでしょうか。

 さて。
 以上のようなことを書こうと思ったのは、先週アニメ「びんちょうタン」の最終回を見て(一体あのアニメが何を言いたかったのかやりたかったのか、最終回まで理解に苦しみ続けました)、くぬぎタンのお屋敷の門柱が煉瓦積みだったからです。そこでさらに思い出したのが一年前にやってたアニメ『エマ』ですが、あのアニメもいろいろ結構拘っていましたが、煉瓦の積み方までは思いが至っていなかったようでした。全部ひたすら長手積みという、タイルみたいなパターンでしたね。これは原作も同じようです。
 最近、筆者は絵でも漫画でもアニメでもテレビでも映画でも、煉瓦積みの建物が出てくると目地のパターンが気になって仕方なくなるという症状に悩んでおりますが、まあそれはともかくとしても、「メイドさんに似合いの洋館」で煉瓦積みの建物を描こうという漫画家さんが、目地の描き方にもこだわってくださることを期待して止みません。

by bokukoui | 2006-04-08 23:56 | 歴史雑談 | Comments(0)

明日から回復予定

 一週間ぶりくらいに外出しました。

 ここ十日ばかり、全く無内容なことしか書いてきませんでしたが、一応明日からは何とかなりそうな感じです。
 今日も(日付が日付だけに)戦艦大和の話でも書こうかと思いましたが、全身の悪寒が止まらないので中止ということで。
 ついでに機械の調子も悪いらしく、すぐに止まってばかりでこれだけの書き込みもままなりません。少しだけ休養。

by bokukoui | 2006-04-07 23:59 | 身辺些事 | Comments(0)

引き籠りになりました

 体調不良とするべき仕事が互いに悪循環を引き起こし、いまなおその状態が続いております。
 かくて気が付けば先週末以来一歩も家から出ておらず。 
 これも今気が付いたのですが、そういえば博士課程に進学したためなにかガイダンスとかあったような気が・・・行っている余裕がありませんでした(時間的・体力的・精神的すべての意味で)。このまま明日の研究会もバイトも行かなければまずは立派な引き籠りと厚労省も認めてくれるでしょう。

 こんな話ばかり書いていても読者の方が詰まらないので(順調にアクセス数減少中)、時事的な話題。
 「東京大学オタク物語」で話題にした『オタクエリート』発行のビブロスが倒産したそうです。
 あんな雑誌を出したからかねえ・・・と思いたくもなってしまいますが・・・出版部門そのものは黒字だったというので、新たに受け皿となる会社ができるのか、或いはどこかが引き取るのでしょうか。

 で、この話を巧みにネタに使った嘘ニュースがこちら。
 ネタのコラボレーションが見事です。

by bokukoui | 2006-04-06 23:58 | 出来事 | Comments(2)

微熱継続中

 頭痛薬飲んで何とかやってます。

by bokukoui | 2006-04-05 23:58 | 身辺些事 | Comments(0)

今頃気付いたが

 このブログに書き込んだ記事が数日前に累計百に達していたようです。
 何か節目らしい記事でも書こうかと思っていたのですが、まだその余裕がありません。
 開設百日記念には何とかしたいと思いますが・・・

by bokukoui | 2006-04-04 23:42 | 身辺些事 | Comments(0)

もう一山

 まだ終わらん・・・

by bokukoui | 2006-04-03 23:55 | 身辺些事 | Comments(0)

頭が痛い

 二重の意味で。

by bokukoui | 2006-04-02 23:57 | 身辺些事 | Comments(0)

所詮書泉の袋

 四月一日ですが別に確信的嘘情報ではありません。

『麻生太郎はローゼンメイデン愛読者』はデマ

 『ローゼンメイデン』は、第1次のアニメを見てそこそこ面白かったので、原作を読もうかと思ったものの某社に金を払うのも何となく癪だなあと思っていたら、たんび氏がご自身所有のそれを安く譲ってくれるというのでありがたく引き取ったのですが、氏が売ってくれるという時点で警戒すべきでしたな(笑)。要するに、あまり面白くなかったので、4冊纏めてローゼンにはまっている後輩に進呈してしまいました(彼は「布教用」に複数必要だったらしい)。
 リンク先ですが、まあ世の中そんな面白い話ばっかりでもなかろうから、そりゃ疑いを抱くのは当然です。
 ただ、もしかすると、大元の「麻生太郎が『ローゼンメイデン』を読んでいた」というネタを2chに書き込んだ輩が秋葉原しか知らぬ痴れ者であった場合、ネタの真贋は別にしても、神保町の書泉グランデ・書泉ブックマートを知らなかった、なんてことはあるかもしれませんな。

 ・・・なんて呑気なこと書いている場合ではありません。いやほんと。

by bokukoui | 2006-04-01 21:14 | 漫画 | Comments(0)