明治の昔、鉄道が敷設される時に、「宿場が寂れる」などとして地元が反対し、線路がその町を避けたという話が各地にあります。それを「鉄道忌避伝説」といいますが、なぜ「伝説」なのかといえば後からつくりあげられた話だからです。というのも、町や村が鉄道を誘致しようとしてばら撒いた建白書やら宣伝ビラやらは少なからず現存しているのですが、同時代で建設に反対したという史料はほとんどないのです。「鉄道忌避伝説」を述べている本を探ると、典拠は古老の昔話のような曖昧なところになってしまいます。一見街を避けているような線路も、地図を良く見れば地形上やむをえない選択と分かるところが多いのです(ことに蒸気機関車は勾配に弱いし)。
で、新京成の話も、地図をぱっと見てカーブが多いので、鉄道連隊の由来から短絡的にそう判断されたのではないか、もっとよく見れば地形で説明が付くのに、という話でした。
なお、以上の「鉄道忌避伝説」について述べた本は、まもなく吉川弘文館から出版されます。鉄道趣味者は必ず買いましょう。新京成の話も、その著者の方に伺ったものです。
とまあ、いろいろ勉強になった会合でした。
ちなみに、この会合は五反田であったのですが、中途半端に時間があったので、小生は大手町からてくてくと歩いて向かいました。2時間弱。途中品川で、京急の赤い電車を見て目の保養としました。
なお、その途中でウィング高輪に立ち寄ったのは、ただ単に歩道橋と繋がっていたのでそのまま入ってお手洗いを借りただけです。
・・・いやあ、黄色のカーディガンとの取り合わせは初めて見たね。
品川は目の保養がいろいろできていいところです。