今月に入ってブログの更新が進んでいないのは、例によって書き手の心身の問題のほかに、機器のこのところの酷い不調もあった(ネットになかなかつながらない)のですが、そんなに引き籠ってばかりいても進展がないと、関西へ史料調査に出かけていたのも一因であります。関西では主として、戦前の電気事業について昔の雑誌などを調べておりました。
そんな中で、昔の電気関係の資料を見ているとしばしば目に付く
「散宿所」という言葉について、ふと思いついてツイートしました。
散宿所とはこのように、今なら電力会社の営業所とでもいう時、戦前で使われている言葉です。ちなみに電器屋が昔はなかったというのは、もちろん全くなかったわけではないのですが、一昔前によくあった街の電器屋さんのようなのがまだ少なかったということです。都市部ではともかく、郊外では少なかったようで、この調査で出会った池田市の郷土史の本によると、戦後はいっぱい出来た電器屋も、昭和10年ごろの池田(当時は池田町)には一軒もなかったそうです。ちなみに池田には阪急宝塚線が通り、その総帥・小林一三の家がありました。郊外住宅地としては戦前からかなり発展していた地域です。
さて、小生のこんな呟きに、ありがたいことにご自分で調べて教えてくださった方が二人もおられました。以下にそのツイートを引用します。
まことにありがとうございます。n=1(
@manga_koji)さんとダービー(
@darbyz80)さんに、ここで重ねて御礼申し上げます。
というわけで、なるほど法令に「散宿所」が記されているのか、と小生は、帰宅後手元の資料を調べてみました。以下ツイッターで既に流しましたが、再度まとめて書いておきます。
(続きは以下に)